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もしかしてトホホ(http://blog.livedoor.jp/takurere1025/)の別館です。表現系に特化して更新します。


by koharu-annex

白鳥の湖~その魅力は二面性~

真央ちゃんの今季FSが、バレエ音楽「白鳥の湖」ということで。
白鳥の湖を、ちょっと復習しておきましょう~、という記事です。

白鳥の湖・・・「バレエダンサーにとっては永遠の母胎」という趣旨の話を、以前、熊川哲也さんがTV番組でおっしゃっていましたが、世の中的にも、バレエといえば白鳥、という構図が出来上がっております。バレエを題材にした漫画や少女向け小説は山ほどありますが、その中で白鳥に触れていないものは、おそらく1つもないのでは?と思われるほどです。もちろん世界中のカンパニーで上演されており、そりゃもう、山ほどのバージョンがあります。

音楽は、チャイコフスキー。

彼の初めてのバレエ曲で、完成まで2年ほどかかったといわれています。
「母胎」とまで言われる今の隆盛を見ると信じられないことですが、この音楽、19世紀後半の当時のバレエ界にとっては、複雑すぎて難しいスコアだったようで、既に練習中からダンサー達や指揮者が不満を述べていたとか。

当然、初演は成功とは言い難く、その後、何度も他人によって削除・加筆・入れ替え等、原曲に手が加えられて、現在の形になっています。(削除された部分はかなり存在し、後年、削除された楽曲を使ってバランシンが作品を振りつけています。また、多くの振付家等の努力により、チャイコフスキーの意向を復元しようとする試みもあります。)

「白鳥の湖」の筋をご存知ない方は、ウィキペディア等でざっと確認して下さいましね。
白鳥の湖の場面設定はドイツと言われています。元ネタは、童話「奪われたヴェール」だと言われていますが、世界各地に存在する白鳥伝説(日本の「羽衣伝説」や「鶴の恩返し」の白鳥版だったり、それらを適度にミクスチャしたものと思えばよいかと)や、ワーグナーのオペラ「ローエングリン」の影響も指摘されています。

ただ、筋書き通りのバレエに終わらないのが、白鳥の湖の面白いところ。

たとえば、白鳥ではなく、王子の物語ととらえる解釈も可能です。
病める精神を持つことを強調したり、王子としての成長物語とするバージョンです。代表的なのはマシューボーンの「スワン・レイク」で、これは王子の病的なマザコンを極端に発露させた作品です。
王子のマザコン的要素やメランコリックな気質は、ノーマルな「白鳥の湖」でも明らかです。そもそも、人間100%でないオデットに一目ぼれして(彼はしょっぱなで白鳥⇒人間の変身場面に遭遇しているにもかかわらず恋に落ちる)、あげく短期間(おそらく数時間もない)で永遠の愛まで誓ってしまうあたりに、王子の普通じゃない逃避傾向が見て取れる。なので、この王子の病質にロックオンバージョンは、今後も存在して行くと思います。

このような派生作品を創造できる面白さだけでなく、「白鳥の湖」に通底する面白さは、ズバリ、


重畳的な二面性


です。

白鳥の湖には、様々な「二面性」が、時に密やかに時にあからさまに設定されています。代表的なものを以下に挙げます。

【昼と夜】
煌びやかな宮廷での昼間の祝宴と、夜の月明かりに照らされた湖畔の廃墟。
この2つの場面が順番に現れて物語が進行します。照明による夜の青白い月明かりは、きつい眠気を誘うこともあるけど、そこはそれ(笑)。

【白鳥と人間】
オデット(&お付きの者)は、昼間は白鳥の姿で、夜だけ人間の姿に戻ることができます。したがって、オデットの出番は基本的に夜です。
ところが、夜のオデットらも「100%人間」ではない。そもそも夜になってから変身するってこともあるんだけど、オデットは、夜であっても、白鳥の清浄な空気感や優雅な羽ばたきのような所作を残している。
つまりオデットには、「人間でない部分」を持つ人間という二面性が、「常に」残されている。

【白鳥と梟(フクロウ)】
オデットは、悪魔ロットバルトにより白鳥に変えられてしまったお姫様です。対して、ロットバルトは人間の姿をすることもあるけれども、普段は梟の姿をしています。見た目が既に対象的。美と醜とは言いませんが(笑)。
梟って「知」の象徴のように捉えられることもありますが、ロットバルトの悪知恵とか狡猾さのイメージとも通じるところがありますね。そして、オデットは、ちょいとバカ正直なところがあるので、そこも対象的。

【善と悪】
悪魔ロットバルトとその娘オディールは、双方ともフォローできない悪者です。オデットは理不尽な悪魔の所業の被害者であり、完全なる善として描かれます。
王子がオディールをオデットと勘違いし、オディールに愛を誓ってしまい、オデットを裏切る形になったところで「悪」が勝つかと思いきや、最終的にはラストで、この世あるいはあの世で王子とオデットは結ばれ「善」が勝つ(これにはいろんなバージョンがあるのだけど)。その大きな流れの中で、善悪が様々に展開し、もんどりうつことになります。
白鳥の群の中に悪魔の手先の黒鳥が数羽混じっていたり、祝宴の中の民族舞踊の中に悪魔の手先が入っていたり、ロットバルトがいろんなところで出てくるバージョンもあります。

【覚悟と逃避】
オデットは、基本的に、自分の理不尽な宿命を真正面から受け止めています。白鳥に変えられてしまった自分とお供の者達(←これ重要)を元の完全な人間に戻すため、男性からの変わらない永遠の愛を真摯に求め続けています。自分だけでなく、お供の者達全員を救うためには、元人間白鳥グループの「長」としてのオデットが「永遠の愛」をゲットしなければならない。オデットには、この「長」としての覚悟がある。
これに対して、王子は、自分の「王子」としての宿命から逃げ出したくてたまらないのね。母親である女王から結婚を迫られるのも憂鬱だけど、そもそも成人になることすら憂鬱っていう困ったちゃんなのです。大人になって責任を負うのが億劫で、楽しい子供時代のままでいたくてしょうがない人なの。
2幕でのオデットと王子の愛の誓いは、2人の利害が一致したからとしか思えないんだけど、そこを声を挙げて追及すると物語が成立しないので止めておきます(笑)。

ちなみに、私が見たバージョンの中で最も唸らされたラストに、次のようなものがあります。ロットバルトとオディールに騙されたことに気付いた王子が湖畔に急行。そこへロットバルトが立ちふさがり、争った挙句王子は湖へ落ちてしまいます(死亡と思われます…)。
ロットバルトは、オデット&お供の者達に対し「さあ、我のもとへ戻れ」と合図。オデットは、王子が沈んだ湖に一瞥をくれた後、きりりと引き締まった表情で毅然と群を率いて、とりあえずロットバルトについていく、というもの(王子に見切りをつけ次の求愛者の探索へと切り替え)。
すごいでしょ。完全に亜流のラストなんですが、ある意味で、オデットの本質を突いていると思います。

【白鳥と黒鳥】
最も有名な二面性は、これでしょう。
しかも、偶然の産物とはいえ、1人2役が定着しています。1人が善悪の2役を演じ分けるため、その人の「見てはいけない裏側」を見るような快感があり、白鳥の湖に何度も足を運ぶ原動力は、1人のダンサーのこの2役の演じ分けを見ることにあるというファンも多いと思います。

さて、このオディール。一体、どういう女性なのか。
オディールは「悪」なので、妖艶で、ファムファタールなイメージで、色気も強さも兼ね備えた無駄に自信過剰な感じで演じられることも多いです。逆に、「王子にオデットであると信じさせなければならない」という物語上の制約を重視し、オデットのような清楚な振りをしつつ、ちらちらと悪の顔を覗かせる、という演技をするダンサーもいます。
ただ、いずれにしても、初見のお友達には、「こんな女をオデットと間違えるなんて、この王子もたいがいアホやね」「こんなので騙されるって、話自体に無理がありまくり。」という感想を持たれることが多い(そして王子の白タイツと相まって、バレエに苦手意識を持たれていくのでした・・・ああ)。

しかし、翻って考えるに。
はたして、オデットに、オディールの要素が全く無かったと言えるのか?って話ですわ。
既に述べたように、オデットは「長」として元人間白鳥グループを救うべく、「永遠の愛」を誓ってくれる男性を覚悟をもって漁っている求めている状態です。このオデットが清楚100%「だけ」の人であるわけがない。「長」としての決死の覚悟と度胸、そして男性に愛を誓ってもらえるだけの器量と魅力を備えていなければ成立しないんですよ。

つまり、オディールの妖艶さ・ファムファタールのイメージ・強さ・色気といった要素は、オデットが「密やかに」持つこれらの要素の裏返しとも言えるわけです。だから、王子が間違えたってわけですわよ。
したがって、オデットは、人間でない部分を持つという二面性のほか、オディールの要素をも密かに併せ持つという二面性も有している、ということになります。

そんなわけでオデットとオディールの演技というのは極めて難しく、ダンサーを悩ませ続け、中には極度の恐怖感を感じる方もいらっしゃるとか。世に言う「白鳥コンプレックス」ってやつです。

・・・といったところで、この二面性の魅力をご理解いただけたでしょうか。

さて、真央ちゃん。

この方、二面性があるのですよね。
以前、コメント下さった方が、的確にも、デモーニッシュな面も併せ持つ、あるいは、女神だけでなく鬼神としての顔を持つ方だとご指摘されていましたが、まさに言い得て妙だと思います。

私は彼女に色気や妖艶さを求めはしませんが(笑、たぶん皆様も同意見かと)、女王オーラの萌芽を持つ類まれな姫オーラ(こちら参照)を持つ彼女には、いわゆるオデットとしての人間でない空気感や、清楚で純潔で、美しく優雅なイメージだけでなく、「長」としての凛々しさや覚悟を感じさせるある種の強さを見せて欲しいと期待しています。
by Koharu-annex | 2012-10-05 16:00 | フィギュアスケート女子