もしかしてトホホ(http://blog.livedoor.jp/takurere1025/)の別館です。表現系に特化して更新します。


by koharu-annex

<前編>「音楽を表現する」って? 中野さんへの感謝をこめて

信ちゃんの第2弾((2)について)を途中まで書いてはいるんですが。
コメント欄で何度か触れさせて頂いたのですが、内容についてあまりに手を広げすぎたおかげで収拾がつかなくなっています。なので、一般論については別トピックとして先に書いていこうかな、と。

ということで、今回は、音楽に関するとあるトピックを。

また3月の世界選手権に戻ってもよいでしょうか(苦笑)。
ヨナちゃんのLPで、彼女が失敗して、スケート的にはもちろんそうでしょうけど、舞踊的にも見るべきところなく滑っていた終盤、解説者が「でも、キムヨナ選手は、音楽を表現するのが、本当に上手ですね~。」という趣旨のことをおっしゃったんです。

この「音楽を表現するのが上手」という趣旨のセリフ、ずっと昔からフィギュアスケートの解説では時折使われていますが、私は以前からちょっとひっかかっていました。
しかし、今回の上記解説者の発言で、確信したんです。フィギュアスケートの解説者って、このセリフを、「何も言うことがないときに使う」、というトホホな真実を。

正確には、スケーターが、①スローテンポな曲にのせて、②簡易な振付をこなしてはいるが、③特に情感は表せていない、という時で、かつ、解説者が「何か言わなくちゃ。」と思った場合に使われる。

アップテンポの曲の場合、振付どおり踊れていれば、「よく体が動いてます。」「のってますね。」などと言う。スローテンポな曲でも、振付が難しい場合は、「簡単そうに難しいことをやってます。」とか「この●●は難しいんですよ~。」などと言う。情感が表されている場合は、「表現力がありますね。」「なりきってますね。」「個性が出ています。」などと言う。

だけど、①~③の全てが揃ってる場合は、何も言うことが無い。で、普通は黙ってるんだけど、このスケーターを褒めなくちゃいけないと思っちゃった場合、あるいは黙っているのがいたたまれない場合に出てくるのが、「音楽を上手に表現してます。」である、と。
ついでにもっとはっきり言えば、スケーターが自分で情感を表せていないくせに、④「ちゃんとそっちで何か感じてね。」とアピールしているように見受けられる場合に、使用頻度が明らかに高くなってる。

これは、解説者が「音楽を表現する」ことを超~甘く見てるってことだけど、私はこれには大反対です。
音楽を表現する」ことって、音楽にのせて身体表現を行う場合の究極の目標の一つです。ちなみに、抽象バレエのうち音楽を視覚化した類型においては、ほぼ唯一の目標といっていい。そして、この「音楽を表現する」っていう目標は、非常~に難しい目標なんです。

それなのに、安易に解説者が「音楽をよく表現しています。」などと言うと、経験値の浅い視聴者の人達が、「こういうのが音楽を表現するってことなんだ。」と思い込み、以前述べた「滑らか芸術論」(こちら参照)と同様の問題を生じさせてしまいます。

音楽は、リズム、メロディ、ハーモニーの3要素から出来ています。このうちハーモニーは、今回の問題の場合、無視していい。なので、とりあえずリズムとメロディを念頭において下さい。
リズムとメロディって、言葉にすると簡単に分けて理解できるように思えるけど、実際は分かち難く結びついていて、私達は密接に関連した両者を「音(楽)」として捉えるわけです。

ちょっとここで、音楽理論からは正確じゃないだろうけど、私が後で使う「拍子」「フレーズ」という言葉の意味を、先に説明しておきますね。

「拍子」
私達が感じる具体的な音楽の「リズム」の前提にある、2拍子とか3拍子とか4拍子などの、拍子の意味で使います。拍子をとることを、「カウントする」と言わせてもらったりもすると思います。

「フレーズ」
大きなメロディを構成する小さなメロディ、くらいの意味で使います。

さて、音楽にのせて身体表現をするためには、当然、最低限の音感が必要です。なので、競技会で演技が出来ているスケーター達は、全員、ある一定以上の音感が備わっていることは確かです。ヨナちゃんだって、真央ちゃんだって、高橋さんだって、信ちゃんだって、皆、一定レベル以上の音感はゼッタイに持ってる。
ただ、残念ながら、その全員が「音楽を表現」できるわけでは、ない。

表現者の中には、体の中に音楽を取り込める人達がいます。「音楽的」とか、「音楽性がある」、などと言われる人達です(もちろん論者によって意味は違ってきますが)。
私は、この人達の能力って、大きく次の2種類に分かれると考えています。

A; 自分の内部で拍子をきっちりとカウントできていて、振付をリズムとフレーズに完璧に細かくきちんと割り付けて、正しく踊ることができる能力
→ とても上品な踊りになります。バレエダンサーにおいて、この能力は大きな美点。

B; リズムとそれに合わせられている振付を、実際に踊る時に、天性のカンで限界までずらすことができ能力。
→ この踊りは、カッコイイ。鑑賞者に「ずれた」と思わせず、「味」(スゥイング等)と思わせることができます。

もちろん、これらの能力を持っていなくても、努力によって同様の効果を得ることはできます。が、やはり、天性の能力の有無では、効果のレベルに差があります。

Bの能力を持っているのは、高橋選手と鈴木選手です。
特に、高橋選手は図抜けています。

Bの保有者が踊る時、本来該当しているリズムよりも先に動作を始めたり、フレーズが終わった後に動作が終わったりします。ところが、それらが「失敗」の印象を残すことはありません。表現者が、あたかも音楽を引っ張ったり、伸ばしたり、自在に操って遊んでいるかのような印象を与えることさえあります。その印象は強烈にカッコイイので、解説者も、Bの能力が発揮された場合には、結構、ちゃんと褒めてます。

また、Bが強烈な印象を残すのに対し、Aはわりと地味ですから、見ようと思って見ないと見えないものです。だから、音楽に対するセンスという意味では、AよりもBが優れているのではないかと思う人が多いかもしれません。私も、昔(バレエが古臭く感じて、それ以外のジャンルのダンスの方がカッコイイな~と思っていた時期)は、BはAの進化系だと思っていたんです。

が、今は、そうではないと思っています。Bを持っていても、きちんとカウント取りをした踊りができない人って、ものすごく多いんです。むしろ、BよりもAの保有者の方が、実際は少ないんじゃないか、と思うくらいです。なので、おそらく、AとBは違う能力なんだろうなあ、と思っています。

実は、「音楽を表現する」ためには、Aの能力を持っていなければならないんです。
このAの能力って、いわば、音楽に寄り添い、音楽と同化する方向の「音楽性」なんですが、それがまさに「音楽を表現する」ということです(少なくともバレエにおいては同趣旨のことが言われています)。
これに対し、Bの音楽性は、言ってみれば、「音楽を表現する」のではなく、「音楽を自己の表現のために道具の一つとして使用する」ようなものです。

Aの能力を持っていたのが、中野友加里さんでした。
私は、引退した方の話はしないようにしているのですが、今回はちょっと特別に書かせて下さいませ。
彼女は、プログラムによくバレエ音楽を使用していましたけれど、それは彼女の音楽性が非常にバレエ向きだったからだと思います。(実は、ルックスと姿勢に関しては、バレエに不向きなマイナス点も結構ある。)

だけど、私がテレビやyoutubeを観た限りにおいてですが、彼女の音楽性を真正面から褒め称えた解説って、残念ながら無かったと思います。

彼女のこの優れた音楽性というのは、本当に珍しいくらいの高度なものです。
彼女の演技こそ、まさに「音楽を表現する」ものでした。

だから、最初に述べたような、間違った時に間違った人に対して「音楽を表現するのがうまい。」などと解説するのではなく、ちゃんと中野さんが滑っているときに「音楽を表現するのがうまい。」、「よく音楽を表現している。」と解説すべきだったと、私は思う。

また、Bの能力を褒めているのであれば(具体的には鈴木選手と高橋選手は音楽の取り方について褒められています)、Aの能力についてもちゃんと褒めるべきです。

今更ながら、ネットの隅っこからダメだしさせて頂きます。

ちょっと長くなっちゃったので、後編に続きます(またかよ!と自分で突っ込みいれてます・・・)。
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by koharu-annex | 2010-05-08 22:31 | 考察(フィギュアスケート含む)