もしかしてトホホ(http://blog.livedoor.jp/takurere1025/)の別館です。表現系に特化して更新します。


by koharu-annex

「表現力」に特化した記事を続けちゃったばかりに・・・

【5月1日午後8時40分、赤字の部分を加筆しました。】

わたくし、とても大事な、しかも基本的なことを、すっかり忘れてしまっていました。
結構、表現力に関する記事って、集中して書く必要があるので、近視眼的になってたな~と反省する次第。

なので、信ちゃんの続きではなく、今回、この記事をアップさせて頂きますね。

信ちゃんに関する「全ての感情を『泣き』で表現する男」で、わたくし、とても良いコメントを頂いたんです。
鍵コメ様なので、趣旨の抜粋をさせて頂きますね。

★鍵コメ様、事前にご連絡する手段がなく、ここで突然ご紹介させて頂くこと、お許し下さい。
コメントのお返事欄では、到底書ききれるものではなく、また、コメント欄をお読みにならない方も多いので、記事という形にさせて頂きました。
もし、お許し頂ければ、ちゃんとコメントを全文引用させて頂きたいと思いますので(そのほうがちゃんとご趣旨が伝わると思いますし)、よろしかったらご連絡下さい。

鍵コメ様のご趣旨は、以下のとおりです。

(1)スポーツとしてのフィギュアで、「自分自身ではない何か(人物像、ストーリー、音楽など)を表現する」ことは、重要要素にはなり得ても最終目的ではない。そこがバレエや演劇とは決定的に違う。

(2)今季の「チャップリン」をテクニカルな観点で見ると、強みを生かし弱みをカバーするとても良いプログラムだった。評価する人々が多くいる理由はそこにある。全面否定されるのはちょっと悲しい。


コメントを下さったyoko様から承諾を頂きましたので、ここでコメント全文を紹介させて頂きます。

チャップリンのプログラムは、(チャップリンという要素を取り敢えず横に置いて)テクニカルな観点から見ると、織田選手の持つ強みを生かし弱みをカバーする、とても良いプログラムでした。演技の出来はシーズン初戦のフランス杯が一番だったのですが、その時はノビノビと滑ってノビノビ跳んで、音楽と振付を通じて、「織田選手らしさ」をうまく表現できていたと思います。

スポーツ競技としてのフィギュアスケートに於いて、「自分自身ではない何か(人物像、ストーリー、音楽など)を表現する」ことは、非常に重要な要素かもしれませんが、最終目的ではありません。そこが、バレエや演劇とは決定的に違う点だと思います。

まぁ、それにしても、あまりにも有名な人物(織田選手の個性とはかけ離れているし、演じようとして演じられるわけもない人物)をモチーフとして取り上げてしまったのは、大きな失敗だったかもしれませんね。チャップリン映画の音楽、チャップリン風の衣装、チャップリン風のマイム…それらは、「氷上にいる選手はチャップリンを演じているのですよ」「チャップリンだと思って見てください」という強いメッセージになってしまいますから。

ではどんなチャップリンを見せてくれるのか?という視点で見たら、それはもう、見ていられないという感じる方がいても当然です。

私自身は、作品の設定には殆ど重きを置かずに見ていたので、さほど気にならなかったのですが…織田選手がノビノビと良い演技をしてくれた(@仏杯)、そしてそれが高く評価された嬉しさから、やや盲目的になっていたのかもしれません。

ただ…
モロゾフのチャップリンを「良い作品」「織田選手に合った作品」と評価する人々が多くいるのは、最初に書いたことが主な理由だと思います。スケート選手としての織田選手が、(チャップリンではないけれども)彼らしさを表現できるプログラムであったという事です。シーズン後半は、その「彼らしさ」も影を潜めてしまい残念でした。

長々と申し訳ありません。好きだったプログラムについて全面否定されてしまうのは少々悲しかったものですから、ちょっと自分でも考えてみようと思って考え、個人的な意見をコメントさせて頂きました。

芸術や身体表現に関して造詣が深くいらして、ご自分の考えを文章にまとめる術にも長けていらっしゃるKoharuさんのブログを知ることが出来て、大変嬉しく感じています。私はバレエも大好きなので、そちらの方の記事も少しずつ読ませて頂きたいと思っています。


この考え方は、フィギュアスケートの見方として、ものすごく正しいと思う。この考え方がまさに王道でしょう。

え?Koharuさん、今までいろいろ書いといて、どゆこと?と思うでしょうから、ちょっと言い訳させて!

あのね、私もフィギュアの記事を書き始めた頃は、必ず念押しで「フィギュアに詳しい方からすると、け!って感じかもしれないけど、バレエ鑑賞者からすると」、とか「フィギュアの技術は全く分からないのですが、舞踊系の表現に特化した観点から言うと」、という趣旨のことを書いているんです。これは、上記の考え方こそ王道である、という獏とした考えが私の前提にあったからです。

じゃ、なんで門外漢の私がフィギュアの表現力について書き始めたかっていうと、昔の記事にかいてあるとおり(こちらとかこちらとかこちらとか・・・)、リアル友から、表現力ってなに?っていうメールが来たことがきっかけです。

それじゃ、なんで彼女がそんなメールを私に書いたかというと・・・沈静化しつつある話を蒸し返して申し訳ありませんが、キム選手は表現力が高い、だから点数が高い、ということが言われてるが、それが本当なのか?と彼女が疑ったことによるものです。

友のリクエストによって、フィギュアにおける表現力をバレエ鑑賞者の視点から書いてきたけど、これはあくまで亜流の視点なんです。
フィギュアが採点競技である以上、それはやっぱりフィギュアの技術としてどうか、あるいは技術をちゃんと見せるプログラムとしてどうか、という点が最も優先されなければならない視点だからです。

私はフィギュアの技術やそれを生かすためのプログラムについては全く分からないため、その最も優先されるべき視点は完全に無視しています。
鍵コメ様のご指摘のとおり、私が否定した「チャップリン」は、王道の視点からは否定される要素が全くない、ということは充分にあり得るわけです。

しかも、私は、フィギュアの採点においては、私のような視点は用いられるべきではないと思っています。
ここ数年のヨナ選手への点数があまりに高いことからクローズアップされている「表現力」ですが、あまりにも不明確、要するに舞踊経験・鑑賞経験の有無およびジャッジの好みによって相当に差異が出てくる視点です。そうであるがゆえに、恣意的操作も行われやすいですから。

ということで、私の表現力に特化した視点は、あくまですみっこの亜流の視点です。
そのことを、ここであらためてお断りしたいと思います。

もちろん、この亜流の視点からのマイナス評価が、王道の視点からの評価と相反する場合、今回の鍵コメ様のように王道視点からのコメントを入れて頂ければ有難い、と思います。
私も、フィギュアスケートについては、友とともにソチまでウォッチを続けたいと思っておりまして、そのためには王道視点が必要だからです。

また長くなってしまいましたが、よろしくお願い申し上げます。
[PR]
by koharu-annex | 2010-05-01 12:25 | 考察(フィギュアスケート含む)