もしかしてトホホ(http://blog.livedoor.jp/takurere1025/)の別館です。表現系に特化して更新します。


by koharu-annex

表現力に特化して考える~致命的欠陥を見事にフォローした奇跡:ヨナちゃんの007②

こちらの記事は、本館の3月8日付記事を、あらためてアップしたものです。

 キム・ヨナちゃんは、昔から、表現手段が3種類に限られていたわけではありません。
 2006年のLP「あげひばり」の頃の映像(こちら)をみると、この頃も柔軟性がある体ではないけれど、今よりずっと肩・肩甲骨が回っています。また、いろんな表現手段に挑戦しているし、指先まで気をつけようとしているのが、はたからも見て取れます。
 
 私は、この頃の彼女の「静謐なしなやかさ」、というものを最大限評価していました。
 もちろん、表現力という観点からいえば、まだまだ感があるとは思っていましたが、まだ16歳ですしね・・・雰囲気が出せれば合格点でしょ(ちなみに、長洲さんは16歳だけどずっと表現力を感じるので、ポテンシャルがもともと違うんだと思う。)。

 ヨナちゃんが「振付をしなやかに踊る」というレベルを超えて、自分や他者を表現できるようなポテンシャルを持っていて、実際にそれができるようになれば、ドイツのシュツットガルトバレエ団で活躍する、著名な韓国人バレエダンサー、スージン・カン(参照記事はこちら)のフィギュア版になれるかも、とも思っていたりして。

 ところが、ヨナちゃんは、その後、「『あげひばり』は難しいから二度と滑らない。」と言ったと伝えられています。「あげひばり」の頃、腰痛のことは解説者がもらしていたので、その関係かもしれません。
 
 今回、Youtubeで、ヨナちゃんの「あげひばり」以降の経過を確認しましたが、「あげひばり」自体を滑らないばかりか、同演目で挑戦していた様々な表現手段を、その後完全に放棄したように見えます。あわせて、指先へ繊細な気遣いを行う努力も一切なくなっていったように見えます。腰痛の悪化・再発の懸念が大きいのかもしれませんが、非常に残念です。
 
 とはいえ、チーム・ヨナとしては、体が硬くて表現手段が少ないという欠点をフォローし、できれば硬さがプラスに働くようなミラクルを検討をしなくてはいけない。
 それに対する答えが、セクシーさを出すこと、じゃないかと思う。
 
 一般的に、柔軟な体や表現力の地力がある人がセクシーさを出すと、色気が "too much " に転びがちです。
 例えば、以前、長洲さんの記事(こちら)の中でリンクを張った、オクサナ・バイウルさん。彼女は、柔軟性も表現力の地力もある方ですが、数年前、ボンドガール・メドレーを踊っています(こちら)。 中年になって少しふくよか(苦笑)になっているせいもありますが、この色気は too much で、到底アマチュアの競技会では有り得ないでしょう。

 しかし、ヨナちゃんのように体が硬いと、セクシーさがほどよく相殺され、硬質な色気になるばかりか、強い女の風情も出て格好よくなります。 しかも、オクサナさんのように表現手段が豊富だと、また色気が加算されてしまいますが、ヨナちゃんのように少ない表現手段しかない場合は、セクシーさが過剰になることを更に抑えられる。
 007はまさにそれで、最大の効果を生んだと思います。

 次に、人目を引くしぐさや、けれんみのある動きを入れてスパイスを施し、表現手段の乏しさをフォローしておく。 その代表が、007における「パチン」と「バキューン」です。
(ちなみに、この人目を引くしぐさや、けれんみのある動作は、昨期のSP死の舞踏にも見られます。いろいろ試行錯誤していたのでしょう。)

 SPの007は、以上の基本コンセプトを前提に、以下のようなヨナちゃんの良さを引き立たせる振付が随所に施されている。

(1)背が高く、スタイルが良くて、手足が長い。
(2)陰性ではあるが、氷上映えする独特のオーラがある。
(3)セクシーな振付を踊ることに、照れや躊躇がない。
(4)体は硬いが、動作に切れ目があまりなく、「しなやか」という印象を残せる。

 また、音楽の選択も、007の音楽の中で「まさにこれ!」と思われるものがチョイスされている上、緩急のバランスも良い。メイクも欧米人受けする「アジアン・ビューティー」を意識しているし、衣装も素敵。とにかく、いろんな面でセンスが光っている。

 結論として、007は、演目としての完成度がとても高い。
 間違いなく、観客の心にずっと残るフィギュア史上の名SPの1つだと思います。

 「セクシー」に対する嫌悪感の有無・程度により、最終的な好き・嫌いや品格の評価は分かれるだろうけど、あの演目に目を引かれない人はいないだろうし、あの演目を演じるヨナちゃんから硬質な色気を感じられないなら、その人は不感症だと思います。
 そして、ここが一番大事だけど、あまりに演目自体が素敵だから、ヨナちゃんの表現手段の少なさなんて、これっぽっちも気付かない。
 まさに、チーム・ヨナによる、演目での勝利。

 ここまではいい。
 問題は、LPです。LPについて、SPと完全に同じ手法を取ることはできないと思いませんか。表現の幅の狭さを自ら白状しているようなものだからです。

 そこで、音楽をスローに変えてみる。クラシックのピアノ協奏曲。
 だけど、色気は残しておきたいので、ガーシュウイン。
 このプログラムは発表がかなり遅いんだけど、前宣伝を十分にしておく。「LPは、ヨナ自身。ヨナの全てを全部見せる。」

 SPでヨナちゃんのボンドガールに魅了された観客は、スローなピアノの調べを聴いただけで、「SPと違うヨナ」を感じてくれる。
 そして、簡単に感嘆してくれる。「こんなにしっとりした曲も踊れるんだ。」

 異議を唱えるのは、私みたいに、敢えて表現力を見極めるという目的をもって分析する、文句たれな奴だけだ(前回の記事を参照)。

 でもね、たとえば、昨期のLP「シェヘラザード」を観て下さい(こちら)。今回のLPと、印象が殆ど変わらないと感じませんか。特に、音を消すと、「あれ?どっかで見たな、これ。」と思いませんか。 違うヨナちゃんが、そこにいますか?

 シェヘラザードとの違いは、シェヘラザードには、アラビアを意識したひじと手首を曲げる振り付けがあるのに対し(しかし、ヨナちゃんの振り付けのこなしが甘い。曲げるならきちんと曲げろと思う)、ガーシュウインの方は、NYC の洒脱さを意識したと思われる、両手首を同時に上から下に振る、80年代のジャズダンスの世界で非常に流行った振り付けがあることと、セクシーさをシェヘラザードより多く出していることくらい。 つまり、この2つのプログラムは構成・振り付けがすごく似ている。

 そして、再三いっているように、ヨナちゃんは表現力の地力が少ないので、同じような構成・振り付けだった場合、異なる印象を与えることができない。

 そのことが分かっているでしょうに、今期のLPで「人生」を表現しているなんて大上段に構えるのは、おこがましい、ってなもんです。 
 五輪のEXにいたっては、セクシーさを抑えたため、もはや「だしがら」。
 語るべき情感は何もなく、ひじから下~指先の気遣いの抜き具合というか、だらだらさ加減はひどいもんです。

 以上の次第で、最終的な結論、つまり、ヨナちゃんの表現の幅は、「硬質なセクシーさ」という至極狭い幅しかない、そうである以上表現力という意味では、トップ選手の中では低いレベルといわざるを得ない、という結論に至ったわけです。


 と、ここまでは友との約束を果たした論考でした。


 私が、いっちばん好きなのは・・・こういうダンサーにはこういう演目を、と考えることなんです。
 なので、以前、ヨナちゃんには「カラボスを」と言いましたが(こちら)、別途、日を変えて、これをもう少し説明させて頂きたいと思います。
 
 それじゃね、友よ、ちゃお!
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by koharu-annex | 2010-04-05 18:53 | フィギュアスケート女子