もしかしてトホホ(http://blog.livedoor.jp/takurere1025/)の別館です。表現系に特化して更新します。


by koharu-annex

表現力に特化して考える~致命的欠陥を見事にフォローした奇跡:ヨナちゃんの007①

こちらの記事は、本館の3月6日付記事を、あらためてアップしたものです。

 
 友の好みにより、結論から書くと(笑)、ヨナちゃんについての私の結論は、以下の2つに尽きます。

(1)SPの007は、奇跡の名作。
(2)ヨナちゃんの表現は、驚くほど幅が狭い。


 説明の順番は、まず(2)からにしましょう。
 ヨナちゃんに特徴的なこと。
 それは、表現手段の圧倒的少なさによる、表現の幅の狭さです。

 彼女の今回のSP、LP、EXを通して観て分かったのですが、彼女は基本的に、①片方の肩をアンバランスに上げる、②口を閉じたまま片側を持ち上げて片頬で笑う、③それらの変化形、という3つの表現手段で、全てを表現しようとしている。

 一般論として、表現力の地力が強い人は、表現手段が少なかろうが、あふれ出る情感を伝えることができます。 そのような表現者の場合、表現手段が少なくても、表現の幅が狭い、と評価されることは起こりません。

 名ダンサーが、年齢を重ねて、表現手段がどんどん減っていっても(具体的にはできるポーズや動きがどんどん少なくなっていっても)、そんじょそこらのダンサーよりも、ずっと情感を伝えることができたりするのは良い例です。

 しかし、キム・ヨナちゃんのLP(ガーシュウインのピアノ協奏曲)から伝わってきた「情感」といえるものは、色気と、色気は自分の特徴だという軽い自負心だけ。
しかも・・・007の後だから余計にそう感じたのかもしれませんが、「色気」の表現もなんだか微妙な適当さ。 

 致命的なのは、このLPのプログラムは「ヨナ自身」(by振付家デヴィッド・ウィルソン)で、刈谷アナの言葉を借りると、


 「キム・ヨナ選手のこれまでの人生を表しているのだそうです。」(うろ覚え)


 にもかかわらず、少し味気の薄い色気、という情感しか表現できない。
 これには、心底、びっくりおったまげたというか・・・とても残念でした。


ヨナちゃん・・・

あなたの人生って、こんなに薄っぺらいの?



・・・というのが、私の正直な感想です。

 「表現力のヨナ」と言われていることを漏れ聞いていて、しかも、実際、SPでは見事に007を演じきっていたので、期待値が上がってしまったのかもしれません。
でも、それを差し引いても、あのLPパフォーマンスからは、起伏ありーの、喜怒哀楽ありーの、な人生なんて、到底感じることなどできませんよ。
 もちろん、彼女はまだ19歳ですが、報道されている彼女の人生だけでも、いろいろあっただろうし、いろんな感情を呑み込んできただろうね、と想像できる人生じゃないですか。

 そんな自分の人生を踊るのに、「007で分かっていると思いますけど、私の特徴ここですから、念のため。」的な色気しか出すことができないなんて。
(なお、私は色気肯定派です。こちら参照)

 これは、表現の地力がひっじょーに貧しい、ということを端的に表しています。

 優れた表現者である条件、それは、まず何より「自分」をきちんと表現できることです。 それがなくては、その土壌に乗っかる「自分ではない何者か」をきちんと表現することができないからです。

 高橋選手のLP「道」の道化、鈴木選手が踊ったLP「ウェスト・サイド・ストーリー」のマリアは、いずれも「自分でない何者か」の「人生」を表現したものです。
この2人の演じた「人生」と比較対照すると、キム・ヨナちゃんが演じた自分自身の「人生」の薄さが分かって頂けると思います。 しかも、2人は「自分でない何物か」の人生なのに、ヨナちゃんは、自分自身の人生を踊ってそれなんですよ。

 キム・ヨナちゃんの表現者としてのタイプは、バレエのコンクールでいうと、仮に「古典」の振付はそれなりに出来てある程度の点数をもらえても、必ずコンテンポラリーで落とされる、というタイプです。この類のダンサーは、今のバレエ界では、決して上にいけません。

 「自分の人生」なんて言わなきゃ良かったね。 ガーシュウインなら、「ハドソン川の流れ」とか(超適当だけど)、色気を考慮するなら「NYCの洒脱さ」とでも言っておけば良かった。 まあ、仮にそういう説明でも、私は彼女に「表現力がある」なんて到底思わなかったけどね。

 そうすると、次に問題になってくるのは、そもそも表現力の地力が弱いキム・ヨナちゃんが世界一になるにはどうすればいいのかということ。 対処方法は、大きく分けて2つあります。

A 表現手段を豊富にして、表現力の地力の小ささをフォローする。
B 今の表現力に見合った、でも表現力の地力が小さいことをできるだけ隠せるプログラムにする。


 まず、Aですが。
 ヨナちゃんの表現手段が3つしかないことは上に述べましたが、何でそんなに少ないのかというと、一番の原因は、彼女の体の硬さにあると思います。 彼女、全体的に体が硬いんですが、致命的なのは、肩、肩甲骨の稼働域の狭さですね。

 ちなみに、実はちょっと体が硬めだったけど、肩・肩甲骨の稼働域がヨナちゃんよりは広く、何より表現力の地力が強かったため、表現の幅が非常に豊かなスケーター、旧東ドイツのカタリーナ・ヴィットさんの、カルガリー五輪の名LP「カルメン」はこちら

 ええっと、体を使った表現者をあまり観ていなくて、五輪だからフィギュア見てましたという方々には、体が硬い/柔らかいと言った場合、足の上がり具合とか、前屈でどこまで曲がるかとか、後ろへどれだけ体を反らせられるか、というくらいの視点しかないんだと思うんですよ。
もちろん、これらの視点は重要なんですが、ちょっと肩と肩甲骨の柔らかさの程度、具体的には、腕・肩全体の動きになるんですが、そこに注目して下さい。

 キム・ヨナちゃんの背中は、言い方は悪いんですが「のっぺり」しています。これは肩~肩甲骨のストレッチがきちんとできていなくて、それらの稼働域が狭い人に特徴的な背中です。 稼働域が広いひとは、普通の時でも、肩甲骨が少し浮き出ることが多い。

 そのため、キム・ヨナちゃんの腕は、あまり後ろに回らないんです。
 これは、体を使う表現者としては、かなり痛い。 
 腕の表現手段が、狭くなるからです。

 また、キム・ヨナちゃんは、ひじから下、特に手首から先に神経が行き届いていないことが多い。 007のようなテンポではその欠点は見えにくいけど、スローナンバーでは、その欠点が露骨に見えてくる。

 肩・肩甲骨周りのストレッチと、指先まで腕の動きに神経をいきわたらせること、これらを訓練するには、バレエレッスンが一番早道です。特に、ロシアの先生がいい。

 と、ここまで一応書きましたが、私は、実は違うことを考えています。
 それは、世界一を目指していた彼女が、バレエレッスンを受けることを検討しないなんて有り得ない、ということです。
 としたら、考えられることは、彼女はバレエの訓練を受けようとしたけど(あるいはちょっとは受けたけど)、何らかの理由で続けられなかったのではないか、ということ。
 これは、私の実体験もあるのですが、腰痛もちに肩・肩甲骨のストレッチはちょっときついんです。 彼女、確かかなりの腰痛もちじゃありませんでしたか?

 ということは、彼女の肩・肩甲骨の稼働域が改善されず、指先までに神経をいきわたらせるバレエの基礎を得られないことを前提に、なにか対処を考えなくちゃいけない。

 それで、チーム・ヨナが用意したのが、007じゃなかろうかと。

 出かけるので、次回に続きまーす。
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by koharu-annex | 2010-04-05 18:43 | フィギュアスケート女子