表現力について真面目に考えてみた
2010年 04月 05日
前回の記事で書いたように、友からメールをもらい、要するに、「フィギュアスケーターで、表現力がある人って誰? キム・ヨナと真央ちゃんに表現力の差はあるのか?」と質問されたわたくし。
キム・ヨナちゃんと真央ちゃんの表現力を語るためには、長い前置きが必要になります。
そもそも、「表現力」ってのものを考察しないといけません。
ということで、まず、表現者を、能力別に5つのタイプに分類してみました。音楽に合せて所定の振付を踊ることを念頭に置いています。
1. たとえ振付どおりに体を動かすことはできても、その体の動きに情感を込めることが、生来的にできないタイプ
* ダンサーだけでなく、人間全体を対象にすると、案外多いと思う。
* このタイプが体を使ったプロの「表現者」になることは不可能だし、表現力が採点基準に入っているスポーツで上にいくことも難しいと思う。
2. 情感を込めているような「ふり」ならできるタイプ(実際には情感は込められていない)。
* 踊りをお稽古事レベルでしている人にはとても多い。
* 表現が「わざとらしい」と感じたら、このタイプだと思う。
3. 自分の感情に基づく情感ならば表現できるが、他者の感情に共鳴することは不得手なタイプ。
* 他者に共鳴して表現するに至るためには、コツ習得が必要。
* コツを習得しても、コツの範囲内でしか表現することができない。そのため、「自分ではない何物か」の役を踊らないといけない場合には、爆発的な表現や、圧倒的な迫力のある表現はできない。
4. 自分の素の感情だけでなく、他者の感情に共鳴してその感情をも表現できるタイプ。
* このタイプは、「自分ではない何者か」の役についても、あたかも自分の感情を表すかのように踊ることができる。
* ただし、役に同化するところまではいかない(後付けで、役同化のコツを習得する人もいる)。
5. 自分や他者の感情表現に留まらず、役に同化して演技をすることができる役者タイプ。
* 引退したバレエダンサーのアレッサンドラ・フェリが、このタイプの典型。
このように表現者が、もともと有する能力によって5つのタイプに分かれるとしても、私達は特定の作品における具体的な表現を通して、その表現者の表現力を感得するわけです。
そうすると、その人の表現力の有無を判断する際には、上記のような能力だけでなく、以下のような個別の要素も考慮に入らざるを得ない、というのが私の経験則です。
【表現者に関する要素】
* かもし出すオーラ
← あった方が、表現力を感じさせる。
* オーラの種類
← お姫様、王子様、わがまま坊主、色男、
変わったところでは、何とも言えないカリスマ性、など。
バレエでは、姫・王子オーラを持っていると、圧倒的に表現力を感じさせる方向に働く。
* 音楽性
← 当然ですが、最低限の音感・リズム感は必須。
これが全く無い場合、振付が音楽と合わないことから、表現力ありと評価することは難しい。
* 一定レベルの踊りの技術
← これがないと見るに耐えなくなるので、必須。
* バレエや民族舞踊の経験
← これらの踊りには、一種の様式美や、感情の型がある。
その様式美や型を表現手段として用いると、表現力を感じさせる方向に働くことが多い。
* 手足の長さ
← 長い方が具体的な表現の幅が広がるので、表現力を感じさせる方向に働く。
* 柔軟性
← 柔軟な方が具体的な表現の幅が広がるし、柔軟性を鑑賞することは一種の快感なので、表現力を感じさせる方向に働く。
【作品に関する要素】
* 音楽・内容と、表現者のオーラとの相性
← 真っ向から衝突すると、見ていて違和感があり、表現力を感じさせない方向に働く。
* 音楽の難易度
← 表現者の音楽性の範囲内に収まっていないと、表現する前の段階で、表現者がついていけない。
* 振付が要求する技術の程度
← 振付が、表現者が持っている「踊りの技術」以上の場合、表現する前の段階で、表現者がついていけない。
失敗による表現の中断も痛い(失敗する直前からリカバリーの時まで、表現者は「素」に戻っているので)。
* 内容と表現者の年齢
← あまりに設定年齢が表現者の年齢と離れていると、鑑賞者に違和感を与えて、表現力が相殺される。
* 内容と表現者の能力の程度
← 内容が、表現者が表現できる幅の範囲内に収まっていると、表現力を感じやすい。たとえば、表現者が、上記6番(役者タイプ)であっても、同化できる役の幅は、個々人で異なる。娼婦役が、その幅に入ってないことだってある。幅の範囲外であった場合、鑑賞者に違和感が残る場合がある。
【特別事情】
* 現役引退
* 怪我・大病・困難からの復活
* 大切な人の死
← 見る側が特別事情を知っているため、些細な表現にも反応してしまう、という側面もあるが、表現者の方も極めて感傷的になっていて、もともと持ってる表現力が倍加することが多い。
続きはまた明日以降。